August 06, 2010

全力投球?

某氏とFacebookで野球について語ってて、ふと思ったこと。
http://www.facebook.com/home.php#!/eisuke1982?v=wall&story_fbid=418832943701

日本人って、何でもかんでも"一生懸命やること"が好きだよね。結果につながろうがつながるまいが、とにかく一生懸命。必要あろうとなかろうと、とにかく100%フルパワーで全力投球。

しかし、これってどうなのかね?
そりゃ、一般的に適当にやるより一生懸命やるほうが良いに決まってる。
ただ、あえて必要もないのにそうすることが、果たして必要なことなのか?

これは完全に個人的な見解というか結論。
別に、必ずしもいつも一生懸命やることがいいとは思わない。

例えば、長嶋さんの"野球とは人生そのもの"という名言に従って、野球のピッチャーに例えて考えて見ましょうか。

目の前の打者に対して、一生懸命投げる。
全力で抑えにかかる。
単純にピッチャーとバッターの勝負を考えた場合、確かにこれはとても大切なことです。

でもねぇ。
野球って、Playballのコールがかかって、一人の打者を抑えれば勝てるスポーツじゃないんですよ。
仮にその打者を打ち取ったって、取らなきゃいけないアウトはあと26個もある。

たぶん、1イニングくらいなら全力投球もできるでしょう。
投球フォームの細かい部分に問題があったって力でねじ伏せることもできるし、そもそもあのイチローだって6割以上の確率で凡打を打つんだから、極論を言えば運頼みで抑えることもできる。
でも9イニングス、通常は1試合160球以上、そんな全力投球をできるのか?と言ったら、やっぱりNoなんですよ。
建前というか、理想論としてはそれをやるのが先発投手の責任だっていうのは、確かにもっともかもしれません。
でも現実問題、所詮生身の人間がやってるんだから、そんなの体力的にももたないし、集中力だって切れてくる。

そういうことを考えると、やはりチームに最大限貢献するためには、言葉は悪いかもしれませんがうまく"手を抜くこと"も必要なわけです。
だって、打率2割そこそこの下位打線とか、例えば全く打つ気のない、もしくは打つ気があったってどうせ打てないピッチャーの打席に、ムキになって150km/hの速球を全力投球する必要なんてまるでないわけですから。
先発ピッチャーの役割は、できる限り少ない失点で極力長いイニングを投げることであって、別に全力投球して球速を出すことではありません。
極論を言えば、相手より少ない失点ならば、なんだっていい。

つまり、先発ピッチャーがチームに最大限貢献するのに必要なのは、
1, 7,8割の力で長いイニングを投げても、そこそこ抑えられること
2, ここ一番のピンチでは全力投球して、絶対に打たれないこと
なわけです。
つまり、初回から常に全力投球してパーフェクトに抑えて、でも短いイニングしか投げられなくて結果的にブルペンに負担をかける、ではいけないわけです。

また、トーナメントとかでせいぜい5,6試合とかで終わってしまうアマチュアならともかく、日本のプロ野球だったらシーズン144試合、MLBなら162試合もあるわけです。最初の5試合全力投球で完封しました。でもその後ケガして1試合も投げられませんでした、では、やはりプロの先発投手としては失格なわけです。
クローザーみたいに2点以下とか圧倒的な防御率じゃなくても、ある程度の失点で抑えながら、大きな故障もなくシーズン通じてローテーションを守り抜くのが、先発投手の役割です。


これは何も、野球に限った話ではないと思います。

仕事にしたって、常に全力投球、結果的にがんばりすぎてうつ病になりました、ではいけません。

例えば会社にしたって、ずっと継続して結果を出していくことが大切なわけです。
ある特定の事業なりプロジェクト遂行のために設立された会社ならともかく、目の前の大きな案件をやりました、確かにそれに関しては大きな成果を上げたけど、その負荷が大きすぎて息切れして倒産しました、ではいけないわけです。

何ごとも、瞬間風速は弱くても、普段は70-80%の力で継続的に、安定して、結果を出し続ける。
ここ一番の勝負時には、100%の力で、圧倒的なパフォーマンスを発揮できる。
それが一番大切なことです。

しかし、短期的に最大の結果と、長期的に最大な結果というのは、しばしば全く矛盾していたりします。
つまり、瞬間的にはすごい結果が出ても、その反動がすさまじく大きい、なんてことは結構多いわけです。
たぶん、バブルみたいな好景気に市場を席巻して、でも不景気になったとたんに倒産しちゃう会社なんて、そのパターンが多いんじゃないかな?
そのバランスが本当に難しい。やっぱり人間、目先の結果って気になりますしね。イヤでも意識してしまう。
周囲だって、目先の結果だけ見て好き勝手なこと言いますしね。
特に、不特定多数の株主がいて、時価総額が日々刻々と変動する上場企業なんて、その傾向が強いんじゃないでしょうか?

だから、自分が何を目指すのか、何を実現し達成したいのか、それを意識するっていうのは、非常に大切だと思います。

よく、"自分がその時々で直面している目の前の問題に全力投球し続ければ、最終的に自分が目指すところにたどりつける"みたいなこと言う人がいますけど、それは日和見主義というか、どこか運任せというか、ちょっと違うんじゃないかなぁと思います。そんな全力投球を続けたら息切れしてしまうし、そもそも目先の結果が、最終的な目的に対しては実は最短経路上ではなくてえらく遠回り、ってことは結構多いと思うんですよ。
だったら自分が目指すところをただ見据えて、目先の結果が出ようが出まいが、そこにめがけて無理のない速度で真っ直ぐ進み続けることの方が重要だと思う。

つまり、最短距離になるベクトル上を、自分ができる等速運動の最速で進むのがいいのではないか。

要約するとこんな感じ。
1, 自分の目指す方向・自分の信念や理想、信条、ゴールを明確に意識する
2, 目先のことにとらわれない、たとえ逆境でも、誰になんと言われても揺らがない強固な信念や、強靭な精神力を持つ。
3, 100%全力投球の理想的だけど余裕のない計画ではなく、自分(達)が現在持っているもの・できることをベースにした余裕のある無理のない計画、力まないで自然体で実行できる速度で進む
4, 70-80%の力でも十分な結果が出せるように、自分(達)自身を最適化・チューニングする
5, 100%を出すタイミングを見誤らない。また、100%を安売りしない。
6, 数少ない100%を出すときには、絶対に最高の結果を出す!

まぁ、自分自身を振り返ってみても、まだまだ全てを実行できてるとは言いがたいんですけどね。
でも、昔に比べると確実に自分が目指す方向、自分の信念とか理想とかはしっかり持って意識できているし、目先の結果や周りの雑音に左右されない精神力とか、雑念に惑わされずに本質を見据え続けることはできるようになってきていると思います。ただ、方向性はブレなくなっても、そこに向かうスピードというか、気分的なムラがまだまだ大きいのは課題ですね。つい調子に乗ったりムキになって力んでしまったり、その反動で無気力になってしまったりっていうことは多々あります。それは現在の課題だし、反省点ですね。

何ごとも、内なる自分のリズムというか、その波長の中で自然体でできることが、自分自身への負担も一番少なく、確実に継続できて理想的だと思うので、それに近づけるように自分を調整していきたいです。  

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April 01, 2010

そうだ、京都へ行こう。

突然ですが、来週急遽京都に行くことに決めました。
目的は、お花見です。

今日、昼間に母親と昼食を食べながらTVを見ていて、はとバスのツアー特集をやっていたんですよ。で、"桜を見たいねぇ"っていう話に。で、なんとなく"京都行きたいなぁ"と言ったら、母"遠いし高すぎる"と言うので、"でも18きっぷ使って夜行日帰りとかなら、近場行くツアーより下手すれば安いけどね"と言ったところ…

うちの母親"じゃ、行っちゃう??"

何の気なしにJRのCyber stationで調べてみると、なんと都合よく5日の"ムーンライトながら"に空席がある。さらに調べてみると、どうやらちょうどそのころ京都の桜は満開。さらに、たまたま俺自身も6日と7日は仕事の予定はない。なんだかいろいろな偶然がかみ合ってしまっている!

"本当に行っちゃう???"

結局、夜行弾丸はさすがにしんどい割にのんびりできないので、夜行1泊現地1泊で行くことに決めてしまいました。

しかしねぇ、うちの母親、片道10H程度の鈍行の旅、大丈夫かなぁ? 彼女は別にBackpackerではない上に、去年乳がんの手術やその後の抗がん剤やホルモン剤治療でだいぶ体力が落ちてる感じがする。ほんと、大丈夫かなぁ?
うちの祖母は昔から旅好きで若いころからかなりの長距離を鈍行旅行してたりしてたみたいなんですけどね。終戦後は帰還兵のリスト持って東京から岡山かどこかまで行くバイトをしてたくらいらしいし。今でも旅に関しては年齢の割にかなりタフな方です。彼女のDNAは確実に俺に受け継がれてると思う。
しかしうちの母親も、そういう18きっぷの鈍行の旅みたいなスタイルに憧れは持っていたみたいで、今回本当にやってみることにしました。体力面も、本人が大丈夫って言ってるんだから信頼することにしよう、うん。

しかし俺、そんなことしてていいんだろうか…?
まぁ、旅が決まるときって、概してこんなもんですが。
それに俺の本職、"職業・旅人"ですし。

自分の中では、自分の職業はずっと旅人(Backpacker)です。なぜかと言えば、単純に自分の人生の中心にあるのは、仕事とかではなくて、間違いなく旅なので。"旅するために生きてる"とは思うけど、"仕事するために生きてる"と思ったことは今まで一度もありません。とらえようによっては無責任にも聞こえるかも知れませんが、その思いは、経営者となって基本的には誰かの指示を受けることなく自分の好きな仕事を選んでできるようになった今でも同じです。ただ、それだけでは生きていけないから、会社の経営とか技術の仕事っていうのは、あくまでも"出稼ぎ"っていう感覚です。だからと言って、別に道楽でやっているとかいい加減に中途半端なことやってるというわけではもちろんないですが。

やっぱり人生、楽しまなきゃね。

いずれは、"プロの旅人"として、世界を旅して、その経験とか感動、旅を通じたことを人々に伝えて、人々の人生を豊かにする手助けをしたり、何か刺激を与えて考えたり成長するきっかけを与えられたらと思います。
自分のBusinessをやるというのは、決してそれ自体が目的なわけではなくて、あくまでもその目的を実現するための手段、自分自身を表現するための手段の一つですね。今の課題は、自分のやりたいことと、自分が目指すことをいかにうまく結びつけるか?ということです。それが実現できれば、もっと自分の人生を楽しめるようになるし、自分の周りの人々も充実した人生を楽しむ手助けができる気がします。

そんなわけで、どう考えても珍道中になること必至ですが、まぁ楽しんで来たいと思います。  
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March 24, 2010

Absolute standard in myself (2)

前回の続き
すぐに更新するつもりだったのですが、書いていたら長くなってしまったため、今日になってしまいました… 反省!


そして、もうひとつの理由が、"ブレない自分"を手に入れた実感を得られたことだと思う。これは、具体的に何かっていうわけでなくて、感覚的な話なのですが。ひとつの理由としては、アジアをずっと旅して、その後US & Mexico行って、またGWにタイ行って、それらの旅を通じて得たもの・経験を、その後の数ヶ月を経てきちんと消化できたことが大きいと思う。完全ではないにせよ、ある程度揺らがない自分、目先のことに囚われることのない自分を手に入れた実感を得られたということ。本質的な部分が以前よりもはっきり見えている感じがします。
自分が何も持っていない段階で本を読んだり、誰かの話を聞いたりすると、良くも悪くもその多くの部分を自分の中に取り込んでしまう。簡単に言えば、ちょっとした刺激に必要以上に強く影響されすぎてしまう。実際自分の周りでも、そういう人を見かけることがよくあります。
どんな情報であっても、意識的であれ無意識的であれその発信者のバイアスがかかってるわけです。でも、しっかりとした確固たる自分を持っていれば、何が必要で何が要らないのか、何が正しくて何が正しくないのか、取捨選択できるようになる。最近になってようやく、その取捨選択を可能にするだけの、自分の中での絶対的な基準らしきものを手に入れられた気がします。

ここ1,2年の自分を振り返って、自分でも確かに、大きく成長したなぁと思います。でも、まだ足りない。やはり、自分の理想、目標、自分の目指すところを考えると、まだまだ足りないもののほうが大きいくらいです。そりゃ、昔に比べればずいぶん前進したなぁとは思いますけど、それでもまだまだ足りない。
今まで、ここまでよく来たなぁという気はします。多くの人の人々の助けを借りてきた部分も大きいですし、自分で切り開いてきた部分も大きい。本当に、よくここまできたなぁというのが実感です、それは、本当に自分が誇ることでもあるし、周りの人々に感謝することでもあります。
しかし、今のペースでは、自分の目指すところ、理想、目標、そういったところに到達するには、自分ひとりで切り開いていくのでは成長が遅すぎる。正直言って、自分ひとりで先に進んでいくには、(応援してくださる多くの人々のサポートがあるにせよ)限界を感じ始めています。

Mentorが欲しい。

W.BuffettにB.Grahamがいたように、R.Kiyosakiに"金持ち父さん"がいたように、価値観や哲学を共有できて、なおかつ自分の目指してる方向の延長線上にいるような存在。今の自分からあまり(社会的にも、物理的にも)遠すぎることもなく、例えば何か壁にぶち当たったときに、気軽に飲みに行って話せるような存在。僕が今持っているものやアイディア、可能性を邪魔することなく、僕の誤りや一時的な"ブレ"を必要な時に過不足なく必要な形で的確に指摘してくれたり、もっと自分のいい部分を劇的に伸ばすきっかけとなるヒントをくれたり、僕には見えていないものを気づかせてくれるMentor. もし可能なら、自分と同じようにビジネスを持っていて、かつ自分とは違ったSpecialty(専門分野)を持っている人なら最高ですね。

正直言って、僕はある意味あまり物分りの良い方ではないかもしれません。別に我がままをを言ったり、持論を無理やり押し通すことはないですが、一応基本的な部分での自分の信念はある程度持ち合わせているつもりだし、それに反して特定の考え方や価値観を一方的に押し付けられるのは大嫌いだし、自分が納得できなければその溝を埋めるために納得できるまで質問攻めにタイプです。基本的に、自分の中で、直感的なレベルも含め、理に適わないこと、筋の通らないこと、説明のつかないことは受け入れられないタイプなので。
そんな僕にも理解し納得できるように、理路整然と指摘したり修正してくれるMentorが欲しい。こう書くと、実在し得ないようなものすごい能力を持った天才的な人を求めてるように思われるかもしれませんが、別にそんな全知全能である必要はないんです。そんな理想的な人間が実在するわけないのは百も承知なので。
それよりも、分からないことは下手に取り繕ったりせずに分からないと潔く認めて、その上で常識とか慣習とかに囚われずに客観的・中立的な視点で一緒に考えてくれるような人の方がありがたいです。所詮、僕自身が凡人なので、ホンモノの天才よりも、天才に近づこうとして常日ごろから努力を続けてもがき苦しんでいるような人間臭い凡人の方が分かり合える気がします。例えば、太田光さんのような。

もちろん、僕自身が誰かのMentorになれるのであれば、それは喜んで引き受けたいですね。僕は別に天才でもないし、何か特別な能力や才能に恵まれているわけでもありません。それでも僕の生き方とか、考え方とか、経験とか、アプローチとか、哲学や信念とか、そういったものに共感してもらえたり、人生に活かせるのであれば、僕は喜んで力になりたい。こんな僕でも、というか逆にこんな僕だからこそできる、ホンモノの天才には分からないようなアドバイスもあるのかな?とも思うので。最終的には受け取る側の取捨選択にかかっているとも思いますし。
今の自分には、そういう存在のありがたみ、貴重さが、以前にも増して分かります。だからこそ、自分が今必要としているのと同じように、誰かが自分を必要としてくれるなら、心から助けになりたいと思うのです。
こういうのって、Give & takeだと思うしね。自分が誰かに与えれば、それは巡りめぐっていつか結果的には自分のためにもなると思ってるので。みんなで助けあってHappyになれたら、嬉しいじゃないですか。  
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February 22, 2010

Absolute standard in myself (1)

この1年ほどのに新たにできた習慣として、読書があります。毎日、アロマを焚いたりして半身浴しながら、時間帯によってはBourbonをOn the rockで飲みながら、大体1時間から1時間半くらい、ゆっくりとリラックスした時間を過ごすのが日課になりました。読むのは、最近ではRobert Kiyosakiの"金持ち父さん(Rich dad)"シリーズとか、ビジネス書が多いですね。他にもO'Reillyの技術書や、Richard M. StallmanやLinus Torvaldsなどの技術哲学的や技術関連の自伝的な本、野球関連(主に監督が書いたものが多い)や、大田光さんのコメディ的なものまで、いろいろ読みます。ちなみに、小説とか文学っぽい類のものはあまり読みません。基本的に実用書とか、ノンフィクションとかドキュメンタリー的なものが好きなんですよね。

ところで、私、小さいころから読書というのはどうも苦手でした。厳密に言うと、"乗り物図鑑"とか、写真やイラストを眺めるのは好きだったのですが、文字を読むのは苦手でした。なぜかと言えば、たぶん小学生のころからの夏休みの定番・"読書感想文"の影響が大きいと思う。なぜって、興味もないのに無理やり"課題図書"なる(俺的には)つまらない本を読まされて、無理やり感想文を書かされる。個人的には、あの"読書感想文の宿題"って、やめたほうがいいと思うんです。あれのせいで読書嫌いになる人って、絶対少なくないと思う。好きな人はともかく、活字恐怖症を植えつけてるだけのように思えるんです。一度なんて、(確か小学校高学年のときだったと思う)、あまりにもダルかったので、400字詰めの原稿用紙にタイトルと名前と、一言"面白かった"(つまらなかった、だったかも?)って書いて出して、先生に大目玉食らった記憶があります。興味もないものを無理やり読ませておいて、感想もクソもないだろう…と、子供ながらに思った記憶がありますが。ちなみに、俺の友達はマンガの読書感想文を書いて(彼は割とマジメに書いてた)、やはり大目玉食らってました。今だったらどうか分かりませんけど、俺が小学生くらいだった当時はマンガは芸術的な評価はされていなかったんでしょうね。例えば、今だったらジブリアニメの漫画本があったら、それは小説い負けず劣らず芸術的な価値は高いと思いますし。

ところで、そんな活字嫌いだった俺が去年くらいから読書が日課になるほどになったのはなぜか。
ひとつは、やはり起業したことが大きい。これからは、今は一人ですが、近い将来には何人、何十人、いずれは何百人、何千人、もしかしたら何万人とか何十万人という社員を率いていかなければならない。そのためには、多くの引き出しを持っている必要がある。人間的にかなり成熟していなければならない。多くの人が納得し、尊敬され、"この人と仕事をしたい"と思われるような存在にならなければならない。彼らと共有できるだけのもの、彼らが自ら"共有したい"と思えるものを持っていなければならない。よく思うのですが、企業と従業員はの関係とは、金銭的なつながりだけではいけないと思っています。やはり、"夢"とか、"理想"とか、"目標"とか、そういったものを共有できていなければ、精神的な部分でつながっていなければ、成功を勝ち取ることはできないと思う。企業にとっての成功とは、決して金銭的な面での成功ではないですよ。それは、その製品なりサービスを通じて、いかに社会に貢献するかって言うことだと思う。多くの利益を生めば、例えばチャリティー活動などを通じてより多く社会に還元することができます。だから、あらゆる企業というのは、ある意味で社会の公共財だと思う。事業を通じて社会に必要なものを供給し、余剰利益があればそれを社会に還元する。そこまでの余裕がなくても、従業員の生活を守り、事業を通じて彼らの夢や理想を実現するのを助け、ひいては彼らの人生をより充実(fulfill)させるチャンスを与える。それこそが企業の存在意義だと思うし、社会的な役割だと思う。
そして、そのトップである経営者は、その目的に見合う人物でなければならない。そのためには、精神的な部分での日々の鍛錬が欠かせないと思うようになりました。俺のことを直接知ってる人は、好き勝手に生きてるアホなやつって思ってるでしょうが、俺だっていろいろ考えてるし、それなりの自覚はあるんですよ。

続く  
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December 17, 2009

お金の器

会社員totoで6億円当てた! ブログで告白すぐに閉鎖 - livedoor ニュース


お金って、いくらあっても困らないし多ければ多いほど幸せになるように思われがちだけど、実際は正しい知識や使い方を知らない者が持つと逆に不幸をもたらすことも多いよね。現に宝くじ高額当選者の自殺ってけっこう多いって聞いたことがある。

当選者向けカウンセリングとかもあるみたいだけど、使い方を知らない人が自分の"お金を使う能力"以上のお金を持ってもロクなことにならないし、だからこそお金に見合うように自分を磨き続けることが大切だよね。お金って、それに見合う正しい知識がなければ、逃げ足も速いし。逆に、お金に見合う器を持ち合わせていれば、お金のほうからその人のところにやってきたりする。

お金って本当に難しい。そして、面白い。  
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Slump

最近、ちょっとスランプ気味です。
何もやる気が起きなかったり、やらなきゃいけないことがあってもイマイチ集中できなかったりしてます。
なんか、気持ち的にプッツリ切れちゃってる感じ。
疲れてるんですかね?

それに、寒くなってきたせいか、最近異様によく眠れます。
睡眠時間も若干延びてきてる。
冬は、動物にとっては冬眠の季節ですからね。
人間だって、基本的には例外ではないはず。
さすがにクマみたいに、何日間も眠ったりはしないしできないけど、それは我々がもっと活動的に進化したからであって、身体が持つ根本的なリズムはそんなに変わらないはずですからね。

しかし最近疲れたなぁ。
なんか、精神的に。

タイトルにはスランプって書きましたけど、実は精神的な面において感覚的にはかなり調子いいんです。
モノがはっきり見えている感覚があるし、自分自身がブレてない。揺らぐことなく目指す方向を見据えられている。多少のことでは動じなくなったし、地に足が着いて軸がしっかりしている感覚がある。
Toughな状況でも揺らがない高い理想と強い信念を持ち続けられていると思う。その辺が自分自身、今年一番成長したと思える部分だし、今はそれを本当に実感できてる。

ただ、問題なのは、その結果がまだ目に見えるカタチで現れてきていないこと。結果がついてきていないこと。
目指している方向がはっきり見えているし、その方向に向かって正しいモノの考え方ができている実感、確信は確かにあるのだけど…
その感覚と現実のギャップが、ものすごくフラストレーション溜まるし、ストレスになる。
野球に例えれば、ボールははっきり見えていて確かに確実にバットの芯で捉えているのに、なぜか打球が全て野手の正面を突いて凡打になってるようなイメージ。
自分ではコントロールできる要素を超えた何かがかみ合っていない感じというか…

結局のところ、今はただ信じて、正しく考え行動することを続けるしかないんだろうな。
何事もそうだけど、多くの人々がこういう状況で焦って目先の結果や利益を追い求めたり、疑心暗鬼に駆られて、敢えてする必要のない余計なこと・変化をしてバランスを崩したり、コントロールを失ったりする。1回や2回なら修正可能な誤差程度なのかもしれないけど、目先の状況に囚われて行動することを繰り返すうちにそのギャップが広がっていって、いずれは修正不可能になる。その結果、当初目指していたもの(信義、信念、信条、理想etc.)を忘れてしまったり、本当に大切なものを見失ったりして、最終的には失敗してしまったり本来得られるはずだったほどの成功を得られなかったりするんだろうと思う。実際、そういう人々を何度も見たことがある。
つまり、結果を追い求めて行動するから、結果的には目指す結果から遠ざかる。
皮肉というか、おかしなもんだよね。  
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October 29, 2005

The reason I write

昨日の記事に大きな反響をいただき、本当にありがとうございました。いや、皆さんやはり様々な意見をお持ちなんだなぁ〜と思ってコメント読ませていただきました。


ところで、なぜこのようなSeriousな記事を書くのか、という質問をたまに聞かれます。正直、一言で説明するのは難しい質問ですね。あえて言えば、危機感と愛国心がそう掻き立てる、と言ったところでしょうか? ちょっとかっこ良すぎる言い方かもしれませんが。

でも、某巨大掲示板群を見たり、他の方のBlogとか読んでも"この国の世論はこんだけ偏ってて大丈夫かぁ?"と不安に思ったりするのは事実です。平気で韓国・北朝鮮の人々のことを"チョン"という蔑称で呼び、中国に対して嫌がってる人々が少なくない"支那"という言葉を明らかにネガティブな意図を持って使ったり、コリア系日本人や在日韓国朝鮮人の人々を蔑むような発言をし、"嫌韓流"という明らかな悪意を感じる本が売れてそれなりに市民権を得てしまう。これらのことに"Respect"のかけらも感じない。それらのことに疑問を感じ、"それは良くないだろ?"と言えば、たちまち外国人や気違い扱いされてしまう。"嫌韓流"なんてサブタイトルは"知れば知るほど嫌いになる国"ですよ? 日本を含めどんな国だって残念ながら負の部分を持っているし、それを学術的に研究・発表するのは外国人であっても意味のあることだとは思う。ただ、その負の部分という一面だけをクローズアップして、たとえば反韓感情を植え付けるようなことをすることにどれだけの意義がありますか? 何も知らない人に要らぬ偏見を植え付けるだけでしょう。もし韓国・北朝鮮の人々が見たらどう思いますか? 実際僕の友人にもそれで心を痛めてる人がいるんです。日韓友情年にそんなもん出版する出版社や著者の気が知れないし、買う方も買う方。はっきり言って日本人の感覚・モラルが疑われるようなことです。

そういう妙な愛国心、ナショナリズムというか、自画自賛・唯我独尊的な風潮にかなり強い違和感を感じていた。ちょうど今週、筑紫さんの"News23"という番組で"日本人の愛国心"という、番組をやっていたようですが、実は僕も同じようなことを感じていて、危機感を持っていたんです。特にNet上、ある程度匿名保たれた場所での発言というところにその危険性を感じた。自分が誰かバレないから、実社会で言ったら強い批判を浴び軽蔑されるような本音を簡単に言えてしまうのではないかと。たとえ軽い悪ふざけであっても、逆にそれを許してしまう程度のモラルしか持たない人が多いという事実、そしてそれを許してしまう社会というのはやはり恐ろしいです。その風潮が蔓延して過激になれば、ホロコーストや侵略戦争なんていう過ちを繰り返さないとも限らない。

また僕はそう遠くないうちに中国を旅したいと考えているのですが、そのことを北京にいる中国人の親友のJenniferに相談したときのこと。"反日デモとか大丈夫なの?"って聞いたところ、半分Jokeで"う〜ん…田舎行くと日本嫌いな人もまだまだ少なくないし、'自分は韓国人'って言った方がいいかも?"と言われた。別の友人にも、言葉の壁とかを抜きにして、日本人であることを理由に心配された。なんじゃそりゃ?って思った。何で日本人が"日本人だ"と言って胸を張って旅したら危険にさらされる可能性があるのかと。おかしいと思いませんか? 別に僕は決して右翼主義者ではないし、彼らの主張を頭ごなしに否定したりは絶対にしないし、むしろ真摯に耳を傾けて、事実は事実として受け止めて、考えて行動してるつもり。もちろんそのような状況の責任全てが日本にあるとは思わない。彼らの必要以上に反日的な教育の影響もあると思う。でも日本の責任が少ないとも思わない。日本の対応の仕方によっては、たとえば公人が靖国参拝を自重するなどの配慮を示せば、少なくとも反日感情のせいで身の危険を心配しなければならない状況までは起きなかったと思う。

昨日の靖国の話題に話を戻すと、どうも小泉首相の参拝は前述の"妙な愛国心・ナショナリズム"と強くリンクしている気がした。イヤだと言っている国があるのに参拝を強行することと、たとえば"チョン"と言って韓国朝鮮人のことを平気で蔑むこと、根底にあるものは同じだと思う。ちょうど、ドラえもんで言うならジャイアンがのび太に向かって"なんだ? のび太のくせに生意気な!"と言ってるのと同じような違和感を感じたんです。そこに相手をRespectする気持ちは感じられない。そして、首相や国会議員などの社会的地位がある人々が靖国に参拝することは、その"妙な"愛国者やナショナリストを勇気付ける行動だったと思うし、そのような風潮の助長を促する結果につながっている気がする。昨日の筑紫さんや香山さんではないが、その風潮が進めばナチスのホロコーストや旧日本の侵略戦争にもつながっているのではないかとさえ思ってしまう。

とにかく僕はそれらのことを通して強い違和感と危機感を感じた。なんとかしなきゃいけないと思った。日本人が世界中の国々から嫌われ蔑まれる国民になることは望まないし、そうなることはなんとしても食い止めたいと思った。なぜかと言えば僕自身が日本人であり、そのことに胸を張っていたいと思う、彼らとは違う意味での"愛国者"だからだ。そこで、何かできることから始めようと思ってあの記事を書きました。


僕の意見に賛同していただける方も大勢いらっしゃって本当に安心しました。正直、感動しました。批判を含めて僕の記事を元に記事を書いてくださった方もいらっしゃって、僕のこの些細な行動が何か考えるきっかけになった、ひいてはこれからの日本を作っていく上で微力ながら役に立ったと思うとうれしい限りです。なんだかんだいって僕ができることなんてたかが知れてます。一国民の影響力なんてなんだかんだ言って所詮大したことない。でも、みんなでそれをやればいつかは大きな力になる。一番大きな例が、去年のプロ野球改革。大多数のファンが反対したから、結局今年は2リーグ制は維持された。さらに今年は、株取得と野球協約の兼ね合いでややもやすればまたチーム減少、1リーグへの意見が出始めても不思議ではないのに、1年前に猛烈に1リーグ制移行を推進していた実力者が、今では2リーグ制堅持を訴えたりしている。この件だって、決して一人ひとりのファンの影響力が大きかったわけじゃない。一人ひとりがやることが目に見えるような大きな影響力を持つかと言えば、そうではないが、だからと言って無駄かと言えばそれもまた違う。

世の中には右の人もいれば左の人もいる。今回の靖国問題を見ても、賛成の人もいれば反対の人もいるし、同じ賛成・反対の意見を持つ人の中でも温度差があるし、本当に多くの意見に分かれる。そしてそれぞれの意見に一長一短がある。ほとんどの問題において絶対的な正解はない。もしかしたらあるのかもしれないけど、"それは神のみぞ知る"というレベルの常人には到底到達できないようなものでしょう。(別に僕自身特定の宗教を信仰してるわけではありませんが…) 正解が存在しないからと言って考えることをやめてしまってはいけない。自分とは意見が違うからと言って、相手を全否定したり無視したり排除するのもいけない。なぜならそんなことしたからと言って進歩がないから。僕自身、そのことは気をつけなければならないなぁ〜と思います。みんなが違う意見持ってるのはきわめて自然なこと。正直、前回の記事に関するコメントで、もし全てが僕の意見に賛同するものだったらかなり怖かった。一つの意見に全員が賛同するというのは、反対意見が存在しないために"立ち止まって考えてみる"ことができない非常に危険な状態だと思う。いわゆるファシズムっていうやつですね。それがたとえこのBlogという小さなCommunityの中だけだったとしても好ましいことではない。様々な意見はあると思いますが、僕とは明らかに正反対の意見のBlogにもTrackbackしたのはそういう理由です。今の日本で考えると、先日の衆院選での自民党が絶対安定多数を獲得する圧勝は正直怖い。細かいことまで今ここに書く気はないけど、国家の根幹である憲法改正なんていうのが現実になってしまう可能性さえある。そりゃ全く問題がないとまでは思わないけど、国家の根幹・基本的な姿勢・精神がコロコロ変わるのは好ましいことではない。現にアメリカは今から220年近く前の憲法を未だに改正することなく使っているわけだし、できてからまだわずか60年しか経ってない憲法を何が何でも改正する必要があるとは到底思えない。

長くなりましたが、最後に前回のエントリーに関して修正。靖国に関して違憲判決が出たと言うのは、"違憲判断"の間違いだったようです。コメント見れば分かる通り、何人かの方にご指摘いただきました。ありがとうございます。ニュースなどで"違憲判決"と聞いたような気がしたのですが、勘違いだったようです。ただ、いずれにしても司法の場で公人の靖国参拝が憲法に沿ったものではないという判断が下されたと言うことは大きな意義のあることであり、進歩であると思います。  
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October 20, 2005

"Johnny style!" Policy

日ごろはこのBlogをご愛読いただき、誠にありがとうございます。まぁ忙しい時期はなかなか更新できなかったりすることもありますが、こんなBlogでも楽しみにしていただける方がいるようで、たまにメッセとかで"更新しないの?"と言われると申し訳ない反面、大変うれしく思います。本当にありがとう!

前から書こうとは思っていたのだが、ここらでちゃんとこのBlogのPolicyを書いておこうと思います。

まず、僕がこのBlogを書いてる理由。やっぱり、いつも友達全員にMail書いたりするわけにいかないし、近況報告がてらこういうの書くのはcommunication取る上で必要かなぁ〜っていうのがひとつ。もちろん中にはメッセとかでよく話してる友達もいるけど、なかなか話す機会がない人も多いからね。あと、自分の考えをまとめるためっていうのもひとつ。こうやって文章にすると自分の考えがまとまりやすいし、あとで読み返すことで何かと自分自身にFeedbackできるから。最後に、できるだけ多くの人に自分の意見・考えてることを伝えたいから。できれば、John Lenonが音楽を通してそうしたように、書くことによって何らかの形で社会・世界に貢献できればと思ってる。まぁ彼ほどの影響力を持つことは今の俺には到底できないけどね。まぁ最近はやりの"Public journalist"ってやつですかね。

とはいえ俺はプロのjournalistじゃないし、このBlogを中心に生活してるわけでもない。いろんな意味でそのことは頭において読んでほしいと思う。時には政治とかSeriousな話題を書くこともあるけど、あくまでも一般市民のレベルで率直な意見を書くつもり。そういう記事って新聞とかではあり得ないBlogならではのものだと思うしね。なんでこんなこと書くかっていうと、実は政治的なニュースに関して記事を書くとコメント欄がすごい荒れることがあるんですよ。中には誹謗中傷とかもあるしね。Policyをあえて書こうと思ったのはそれが理由です。そりゃ俺だって専門家ではないし、世の中にいろんな意見があるのも分かってる。だから、このBlogのコメント欄で議論するのは別にかまわないし、意味のある議論であればむしろ歓迎します。ただ、全てのコメントにいちいちReplyするかと言うと、必ずしもその保障はありません。時には膨大な数のコメントが来ることもあるし、正直申し訳ないけど全てにReplyしてるほど暇でもない。でもいただいたコメントには全て目を通しているので、その点はご安心ください。もちろんいいコメントにはReplyしたり、今後の記事書くときにReferさせてもらうこともあると思います。あと、誹謗中傷とか、Blogが荒れる原因になると判断されるコメントに関しては僕自身の判断で適切な対応を取らせていただきます。

あととりわけ国際問題とかに関して書くとコメント寄せられることが多いんですが、別に俺は左翼主義者ではありません。基本的に中道路線を取るつもりです。厳密に言えば事柄によってぶれることはあると思う。ただ、全体としてはそこまで偏りなく考えてるし、書いてるつもりです。保守かリベラルかと言われれば、リベラルな面で言えば例えば小泉改革は支持するし、保守的な面で言えば憲法改正には反対です。時代の流れに即して変わらなきゃいけない部分はあるし、かと言ってブラしてはいけない"軸"っていうのも絶対あると思うので。あと歴史に関しては、正直苦手です。詳細に関して、客観的に見て世界中国を問わず納得するような事実との相違があれば、コメント欄でご指摘いただければ、今後このBlogを読んでくださる方のためにもなりますので幸いです。ただ、万人が納得する結論に至っていない他国との歴史観の相違に関する問題に関して言うと、各論はともかくとしてそれなりの意見は持ってるつもりです。というのも、よくもめる事の多い中国・台湾・韓国・USにも友人が少なくないし、率直にそのようなTopicについて話し合うことも少なくないので、大まかな流れに関してはある程度世界的にメジャーな認識は持ってると思います。上記のいずれの国にも実際に行って歴史的なミュージアムとかも含めて見てきた経験もあります。ちなみに、日本人だからと言って常に日本の意見・日本に有利な意見を支持するつもりはないし、かと言って他の国に特別に肩入れする気もありません。正しいと思うことを正しいと言い、基本的に中立な立場で書くつもりでいます。正直、けっこう言いたい放題、ときには過激なことを書くこともあるかと思いますがご容赦ください。ただ、予断ですが今までも中国や韓国での反日デモのときとかそういうスタンスで書きたいように書いてきたのですが、"こんな都合いいこと書きやがって!"っていう部分もあっただろうに意外にも中国人や台湾人、韓国人の友人や読者の方々から"そのように前向きに考える人々がもっと増えればいいのに"という暖かいメッセージをいただきました。正直、かなり驚きましたが心底うれしかったです。こんな些細なことからでも相互理解のきっかけになるんだなぁ〜と思い、やりがいを感じました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとう!!
今後も大胆に、かつ前向きに書いていきたいと思います。微力ながら貢献できるといいなぁ〜

最後にTrackbackに関して。こちらからいくつかのBlogにTrackbackを送信させていただく場合があります。もしお気に召さないようでしたらお手数をおかけいたしますが削除いただいて結構です。一応自分の意見と同じかどうかを問わず、記事を読んでふさわしいと思ったものに関しては世の中にはいろいろな意見が存在するという意味で送らせていただく場合もあります。ご迷惑でしたら削除いただいて結構です。ただ、それに関していちいちコメント欄にクレームを書き込むのはBlogが荒れる原因にもなりますので、ご遠慮いただければ幸いです。あと、僕の記事に関して記事を書かれる場合はTrackbackしていただければと思います。是非一読させていただきます。

大体このBlogを書くPolicyはこんな感じです。何かあれば加筆修正します。最後に今後も"Johnny style!"をよろしくお願いいたします。  
Posted by wildeagle at 00:00Comments(5)TrackBack(4)